RESEARCHER'S VOICE

#4 人の喜びや やりがいを残すAI社会 ~100年残る基盤理論をめざして~

井上 正樹 准教授 理工学部 物理情報工学科 准教授
理工学研究科 先端数物科学専攻 物理情報工学カリキュラム 准教授
#4 井上 正樹

井上先生の専門は、制御工学です。

AIやロボットの技術が急速に進化する中、井上先生は「人を置き換える技術」ではなく、「人と機械が協調する技術」の実現を目指しています。「人が喜びややりがいを持ちながら、AIや機械と共に価値を生み出せる社会をつくりたいのです。」人の意思や行動を理解しながら、人とシステムがより良く協調する仕組みの研究に取り組んでいます。


完全自動化ではなく、人の価値を活かす

井上先生が目指しているのは、すべてを機械に任せる完全自動化ではありません。「機械が得意なことは機械に任せる。一方で、人が持つ経験や判断力はきちんと活かす。その両方の良さを引き出したいのです。」

人が関わることで、AIや機械だけでは対応が難しい未知の状況や想定外の環境にも柔軟に適応できる可能性が生まれます。井上先生は、この技術によって人にもたらされる価値を「嬉しさ」という言葉で表現します。YILオンライン講座では、航空管制や自動運転を例に、その考え方を紹介してくださいました。例えば航空管制や道路交通、電力・ガスといった社会インフラの運用では、現場のオペレーターが長年培ってきた知識や経験が重要な役割を果たしています。しかし、高度化・複雑化する社会システムを人だけで運用し続けることは容易ではありません。

「自動化だけに頼るのでもなく、人だけに頼るのでもない。その両方を活かすことが大切です。」

社会インフラをいきなり完全自動化することには大きなリスクがあります。一方で、リスクを恐れるあまり新しい技術を導入しなければ、さらなる性能向上も望めません。そこで井上先生は、人とAI・機械がそれぞれの強みを活かしながら協調する仕組みの実現を目指しています。こうした研究を進めるため、井上先生は社会インフラ分野の企業や研究機関との共同研究にも積極的に取り組んでいます。高い安全性や信頼性が求められる現場で、人とシステムのより良い協調のあり方を探究し続けています。

井上研究室のビジョン
井上研究室のビジョン

人を理解し、機械を動かす

人と機械が協調する社会を実現するためには、まず人を理解しなければなりません。「機械が人と協働するためには、人が何をしてほしいと思っているのか、どのような状態にあるのかを理解する必要があります。」

井上先生は、そのための技術としてAIを活用しています。例えば、人の言葉や行動から、その人が何を求めているのか、どのような心理状態にあるのかを推定し、それをシステムの制御へ反映する研究に取り組んでいます。「人が何を期待しているのかを理解できれば、機械は単に命令に従うだけではなく、人に寄り添いながら協力できるようになります。」

人を理解すること。そして、その理解をもとに機械を動かすこと。井上先生は、人とシステムのより良い関係を実現するための新しい制御理論の構築を目指しています。

言葉で人とシステムをつなぐ

井上先生が取り組む「Language-aided Control」は、人の言葉をシステムの制御に活用する新しいアプローチです。「人と機械をつなぐ新しいインタフェースとなる制御理論や制御技術を作ることが、この研究の大きな役割だと考えています。」

近年、生成AIの発展によって、人とコンピューターが言葉を通じて自然にやり取りできるようになりました。井上先生は、こうした技術を社会システムやインフラへ安全に取り込むためには、人の意図や判断を適切に反映できる制御技術が不可欠だと考えています。

「最先端のAIは非常に高い能力を持っています。しかし、社会インフラや機械システムで活用するためには、安全性や信頼性を担保しながら、人の意思を反映できるしくみが必要です。」

Language-aided Controlは、まさにそのための基盤技術として期待されています。井上先生が目指しているのは、AIや機械に全てを任せる社会ではありません。

「人がシステムの相棒となり、機械と協力しながらより良いシステムを作っていくことが重要だと考えています。」

例えば、自動運転車に乗っているときに、この先のコンビニに寄ってほしい、と人が指示を出したり、事故や緊急車両の接近など機械だけでは判断しづらい状況で、救急車が来ているから道を譲った方がよい、と人が補足的な判断を伝えたりすることが考えられます。また、人は機械が把握できない情報を伝えるセンサーの役割も担うことができます。今日はこの部屋が少し暑い、機械の調子がいつもと違うといった人の感覚や気付きは、センサーだけでは捉えられない貴重な情報です。こうした人の知識や経験、感覚をシステム側が理解し、制御に活用できれば、より柔軟で安全な運用が可能になります。

井上先生は、人とAI、機械がそれぞれの強みを持ち寄りながら協調することで、人だけでも機械だけでも実現できない新しい社会システムの実現を目指しています。近年は、生成AIなどの先進的なAI技術を現実世界へ展開するPhysical AIへの注目も高まっています。

「対話や翻訳などの情報世界で発展してきたAI技術を、広く私たちの暮らす物理世界で活用していこうという流れがあります。その “Physical” の中には人も含まれるはずです。人とAI、人とシステムが協調する私たちの研究も、 Physical AI の一つの形だと言えるかもしれません。」

人の言葉を理解し、人の意思を活かしながらAIや機械と協調する。井上先生の研究は、AIを社会に安全かつ有効に取り入れるための新しい基盤技術として、今後ますます重要になっていきそうです。

合宿の様子
合宿の様子

社会の変化に適応できるシステムを目指して

井上先生は、この研究が今後の社会課題の解決にも貢献できると考えています。その一つが、深刻化する労働力不足への対応です。現在、多くの現場で自動化への期待が高まっています。しかし、社会インフラや交通システムのような複雑な環境では、完全自動化が現実的とは限りません。例えば、自動運転でも、すべてをAIに任せるのではなく、人が運転を行いながら必要に応じて支援を受ける形の方が現実的な場面があります。また、工場やインフラの運用現場では、熟練技術者が持つノウハウをAIやシステムが支援することで、経験の少ない人でも適切に業務を遂行できる可能性があります。

「エキスパートだけに頼るのではなく、より多くの人が活躍できるしくみを作ることが重要だと思っています。」

もう一つの重要なテーマが、「変化への適応」です。現在のAIシステムは、条件が整った環境では非常に高い性能を発揮します。しかし、社会インフラのようなシステムでは、状況が絶えず変化します。例えば、 エネルギー政策の変化、 国際情勢による資源価格の変動、 社会ニーズの変化などによって、システムに求められる役割も変わっていきます。

「社会の要求は常に変化しています。その変化に柔軟に対応できるしくみを作ることが重要です。」

井上先生は、人の知識や判断力を適切に活用しながら、環境変化にも柔軟に適応できる制御技術の実現を目指しています。人とAIが協調しながら成長するシステム。そのしくみを支える基盤理論こそ、井上先生が取り組む研究の核心なのです。

現象を理解する面白さから、社会を動かす面白さへ

井上先生が研究者を志した原点は、高校時代まで遡ります。当時は野球に打ち込んでいました。飛んでくるボールを捕るためには経験や勘が必要だと思っていましたが、高校の物理の授業で、その考えが大きく変わります。「ボールがどのように飛び、どこに落ちるのかは、物理法則によって説明できると知ったんです。」目の前で起きている現象が数式によって説明できる、そのことに大きな衝撃を受けました。「現象を数学や数式で説明できることがとても面白かったんです。」この体験をきっかけに、物体の運動を扱う力学系の研究に興味を持つようになりました。そして、高校生の頃にはすでに、博士課程へ進み研究者になることを考えていたといいます。大学では制御工学の道へ進みました。高校時代に魅力を感じていたのは、なぜそうなるのか、という理学的な問いでした。しかし、大学で工学を学ぶ中で、別の面白さを見出すようになります。現象を理解することに加えて、それを使って何ができるのか、どんなシステムを作れるのかという発想が加わったのです。制御工学では、理論を作るだけではありません。その理論を使って実際にシステムを動かし、新しい価値を生み出します。

「アイデアを形にすることが重要なのです。」理論を構築する。実際にシステムを作る。そして、自分が立てた仮説が現実の世界で確かめられる。その瞬間に大きな喜びを感じると井上先生は語ります。

人を排除するのではなく、人を活かしたい

学生時代から大学卒業までは、ロバスト制御と呼ばれる研究に取り組んでいました。ロバスト制御とは、環境の変化や機器のばらつきがあっても、安定して動作できるようにする技術です。研究を進める中で、井上先生はあることに気づきます。「そもそも、そのばらつきはどこから生まれているのだろう、と考えるようになったのです。」

その答えの一つが、人間でした。従来の制御では、人によるばらつきは抑えるべきものとして扱われることが少なくありませんでした。しかし井上先生は、逆の発想を持つようになります。「人の自由な行動を制限するのではなく、人が自由に振る舞ってもシステムがうまく動くしくみを作りたいと思うようになりました。」

この考えが現在の研究につながっています。AIや機械が人に代わるのではなく、人の意思や創造性を活かしながら協調するしくみを作る。井上先生は研究室を立ち上げた当初から、一貫して「人」に焦点を当てた研究を続けています。井上先生が人を対象とした研究に魅力を感じる理由の一つは、その複雑さにあります。機械やロボットは、設計した入力に対して決められた反応を返します。もちろん制御は簡単ではありませんが、基本的にはしくみを理解すれば振る舞いを予測できます。一方で、人はそうはいきません。「人は何をきっかけに動くのかが一人ひとり違うのです。」

例えば、同じ依頼をしても、報酬があるから協力する人、褒められることがモチベーションになる人、仲間とのつながりを重視する人など、行動の理由はさまざまです。「機械とは違って、人は入力と出力の関係が単純ではありません。その違いがとても面白いところです。」さらに、人の行動や意思決定には、まだ十分に解明されていない部分が数多く残されています。「まだ発見されていない刺激や仕組みがたくさんあるのではないかと思っています。」だからこそ、人を理解することは簡単ではありません。しかし、その難しさこそが、井上先生にとって研究の大きな魅力になっています。

100年残る理論をつくりたい

実用的なシステムを作ることはもちろん面白い。しかし井上先生は、その土台となる理論の構築にも強いこだわりを持っています。「私は、100年後にも残るような基盤理論を作りたいと思っています。」

これまでの制御理論は、主に機械やシステムを対象として発展してきました。しかし井上先生が目指しているのは、人が関わることを前提とした新しい制御理論です。「人がシステムの一部として存在するからこそ成り立つ理論を作りたいのです。」言葉を介して人とシステムが協調するしくみや、人の意思や価値観を制御に取り込むための理論は、まだ十分に確立されていません。井上先生は、そうした新しい時代の基盤となる理論の構築に挑戦しています。

人の喜びや やりがいを残したい

では、その先にどのような社会を描いているのでしょうか。近年はAIや自動化技術の発展によって、「AIが得意なことはAIに任せ、人はAIができないことを担当する」という考え方が広がっています。しかし井上先生は、その未来に少し違和感を持っています。「AIが苦手な仕事や、人がやりたくない仕事だけが人に残ってしまう社会にはしたくないのです。」

例えば、料理を例にすると、食材を集めるのも人、後片付けをするのも人、一方で、料理そのものはAIが行う。もしそうなったら、本来料理を楽しみたかった人の喜びが失われてしまうかもしれません。「人が本当にやりたいことや、やりがいを感じられることは、人自身ができるようにしたいと思っています。」

井上先生が目指しているのは、人を機械に置き換える社会ではありません。AIや機械を上手に活用しながら、人がより創造的なことに集中できる社会です。

「人の喜びや達成感、やりがいは残したい。そのためにAIや自動制御を使いたいのです。」

企業・学生のみなさんへ

井上先生は、企業との連携についても期待を寄せています。特に関心があるのは、「AIをどう作るか」ではなく、「AIをどう社会に活かすか」を考えている企業です。「制御理論や人とシステムのインタラクションに興味があり、一緒に新しいアイデアを考えられる企業とぜひ連携したいと思っています。」

また、学生に対しては、今の時代だからこその大きな可能性があると語ります。「AIの発展によって、アイデアを形にしやすい時代になりました。」理論を考えることもできる。システムとして試作することもできる。これまでよりも遥かに挑戦しやすい環境が整っています。数学や理論が好きな人も、システムを作ることが好きな人も、ぜひ一緒に新しいアイデアに挑戦してほしいと思います。」

人を理解すること。人と機械が協調するしくみをつくること。そして、人の喜びや、やりがいを残しながら、AIと共存する社会を実現すること。井上先生は今日も、人とシステムのより良い関係を支える、新しい制御理論の可能性を探り続けています。