【開催報告】第6回YILオンライン講座 #11数理データ科学研究ユニット

矢上イノベーションラボラトリー(YIL(イール)所在地:神奈川県横浜市港北区日吉3-14-1/ディレクター:多田宗弘)は、慶應理工の研究ユニットによる研究のご紹介や、新たな科学・技術の解説をオムニバス形式でご紹介することを目的とする、YILオンライン講座を開催しました。

第6回は、人間工学/ヒューマンファクターズ創発センター中西美和教授、数理データ科学研究ユニット白石博教授、林賢一教授をゲストに招き、2026年5月21日(木)16時から、オンラインにて開催しました。

本イベントは、産学連携をお考えの企業のみなさまへ、慶應理工の研究領域の概要に対する理解を深め、研究者と民間企業との双方向コミュニケーションを円滑に進めるための基礎的な情報提供を目的としてYILが主催し、研究者の協力を得て実施しました。当日の発表内容は、YIL産学連携アライアンス会員に限り、資料、動画で紹介しています。

#11数理データ科学研究ユニットを白石博教授が紹介しました。理工学部数理科学科の統計分野の専門家教員4人、関連する外部研究員3名、博士課程の学生5名の12名で構成されています。ユニットリーダーは白石先生、副ユニットリーダーは、小林景先生、林賢一先生、ポワニャール・ベンジャミン先生の3名です。

専門は、統計科学とその関連分野で、統計的機械学習も皆さんされています。白石先生とポワニャール先生は、時系列解析、金融工学、保険数理を、小林先生が幾何学的データ解析、林先生が医学統計学、統計的因果推論、ポワニャール先生が高次元統計学とそれぞれの分野で幅広い研究をされています。

また、外部の若手研究員として、一橋大学の小池孝明先生、順天堂大学の中村知繁先生、滋賀大学の米山慎太郎先生にもメンバーに加わっていただきました。3名の先生方は理工学部数理科学科卒業生、または大学院理工学研究科数理科学専修修了生で、第一線で活躍されている研究者です。5名の博士課程の学生がコアメンバーとして参加しています。

活動内容について紹介しました。主な研究分野として、統計的機械学習、ランダムフォレスト、ニューラルネットワーク、幾何学的データ解析、高次元時系列解析など、データサイエンスの基盤となる数理理論の研究に取り組んでいます。また、その成果を医療・ヘルスケア分野における診断支援や疾病予測、金融分野におけるリスク分析や市場予測、保険数理など幅広い社会課題へ応用しています。

本研究ユニットの大きな特徴は、「理論」と「実社会」の双方をつなぐ研究を推進していることです。数理理論の研究成果を実際の社会課題の解決に活用するだけでなく、現場で生じる新たな課題を出発点として新しい数理モデルや解析手法の開発へと発展させています。このような理論研究と実社会との相互作用を通じて、実践的かつ社会実装につながるデータサイエンスの発展を目指しています。数理データ科学研究ユニットでは、最先端の数理・統計理論と実社会のデータを結び付けることで、社会課題の解決と新たな学術的発見の両立を目指しています。

具体的な研究例として、ランダムフォレストを活用した時系列データの予測手法に関する研究が紹介されました。

金融市場や需要予測の分野では、将来の値を予測するだけでなく、「どの程度の範囲で変動する可能性があるのか」を把握することが重要です。本研究では、過去のデータから将来の変動幅やリスクを予測するための新しい手法を開発しています。

この研究では、機械学習手法の一つであるランダムフォレストを用いて、時系列データに含まれる複雑で非線形な関係性を捉えながら、将来の変動範囲を推定します。さらに、その推定結果が統計学的に妥当であることを理論的に示している点も特徴です。

また、実際の日経平均株価データを用いた検証では、本手法を従来の予測手法と比較した結果、市場が大きく変動する局面においても変動リスクをより適切に捉えられる可能性が示されました。

このように、本研究は数理・統計理論の発展だけでなく、金融リスク管理や経済予測など実社会への応用にもつながる成果として期待されています。本研究ユニットでは、このような理論研究と実データ解析を組み合わせた研究を通じて、社会課題の解決に資する新たなデータ解析手法の開発と、その理論的基盤の構築に取り組んでいます。

続いて、小林景先生による研究紹介が行われました。

小林先生は、幾何学的データ解析と機械学習理論を中心に研究を進めています。幾何学的データ解析では、従来の平面や三次元空間上のデータだけでなく、球面やドーナツ状の構造など、より複雑な形状を持つデータを対象としています。近年、センサーデータや位置情報データ、生体データなど、複雑な構造を持つデータが急速に増えており、それらを適切に解析する新しい手法の開発が求められています。小林先生は、このような複雑なデータの特徴を数学的に捉えるため、多様体上の確率過程と呼ばれる理論を用いた新たな解析手法の研究に取り組んでいます。また、機械学習理論の分野では、近年AI研究で大きな注目を集めている「良性過適合現象(Benign Overfitting)」の解明に取り組んでいます。

従来の統計学では、モデルを複雑にし過ぎると学習データへの適合度は高まる一方で、新しいデータに対する予測性能は低下すると考えられてきました。しかし近年、ニューラルネットワークなどの大規模AIモデルでは、パラメータ数を大幅に増やしても予測性能が向上する場合があることが知られています。小林先生の研究は、この一見すると矛盾する現象がなぜ起こるのかを理論的に解明しようとするもので、AIの性能向上や信頼性向上につながる基礎研究として期待されています。

これらの研究は、複雑化するデータの本質的な理解を深めるとともに、より高精度で信頼性の高いAI技術の実現にも貢献することが期待されています。このように数理データ科学研究ユニットでは、現実社会で生じる複雑なデータを深く理解するための基礎理論の研究から、AIやデータ活用技術の高度化につながる応用研究まで、幅広いテーマに取り組んでいます。

続いて、ポワニャール先生の研究紹介が行われました。

ポワニャール先生は、確率過程や高次元データ解析を専門とし、金融データや通信データ、各種センサーデータなど、大規模で複雑なデータを対象とした理論研究に取り組んでいます。代表的な研究テーマの一つが、「Hawkes過程」と呼ばれる確率モデルです。これは、過去に起きた出来事が将来の出来事の発生に影響を与える現象を表現するための数理モデルで、金融市場における取引の連鎖や、Webサービスへのアクセス集中など、現実社会のさまざまな現象の分析に活用されています。

また、長期記憶性を持つ確率過程に関する研究にも取り組んでいます。これは、過去の出来事の影響が短期間で消えるのではなく、長期間にわたって持続するような現象を扱うもので、金融市場の変動や通信ネットワークのトラフィック解析などへの応用が期待されています。さらに、大規模データの中から異常や構造変化を検出するための研究も進めています。例えば、多数の変数を同時に扱う高次元データに対して、システムの状態変化や異常発生の兆候を検出する手法の開発に取り組んでいます。

加えて、データ同士の違いを定量的に評価するための手法である**MMD(Maximum Mean Discrepancy)**を用いた統計的推定や機械学習理論に関する研究も行っています。これらの研究は、複雑なデータの背後にある構造を理解し、新たな知見や異常の兆候を効率的に発見することにつながります。このようにポワニャール先生は、最先端の確率論と高次元データ解析を基盤として、金融、情報通信、機械学習など幅広い分野への応用を視野に入れた研究を進めています。

最後に、林賢一教授より、産学連携による共同研究の事例が紹介されました。

林教授は、医学分野を中心とした統計解析や統計的方法論の研究に取り組んでおり、医学部との共同研究をはじめ、さまざまな分野で研究を展開しています。今回のセミナーでは、その中から企業との共同研究事例として、村田製作所とのプロジェクトが紹介されました。本研究は、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合研究所)の2020年度「エネルギー・環境新技術先導研究プログラム」の一環として実施されたもので、リチウムイオン電池の内部短絡を早期に検知する技術の開発を目的としていました。

リチウムイオン電池の内部短絡は、発火や故障につながる重大な要因の一つです。特に電動航空機のように高い安全性が求められる分野では、機器を停止したり分解したりすることなく、運転中の状態で異常の兆候を検出する技術が求められていました。本研究では、内部短絡の兆候として現れる極めて小さな電圧変動(電圧スパイク)に着目しました。しかし、その変化は通常の電圧変動に埋もれてしまうほど小さく、単純な閾値判定では検出が困難でした。さらに、航空機分野では厳格な認証制度への対応が必要であり、判断根拠の説明が難しいブラックボックス型のAIをそのまま利用することは容易ではありません。そのため研究チームは、電池工学の専門家と統計学の専門家が連携し、説明可能性と実用性を両立した解析手法の開発に取り組みました。具体的には、微小な異常を捉えるための新たな特徴量を設計するとともに、説明可能性の高いk近傍法を活用した異常検知手法を開発しました。また、計算資源に制約のある環境でも利用できるよう、ルックアップテーブルを用いた高速化にも取り組みました。

その結果、正常な電池と異常な電池を高い精度で識別できることを確認し、運転中の状態で内部短絡の兆候を検出できる可能性が示されました。NEDOプロジェクトは終了しましたが、得られた知見は電池製造工程の改善にも活用できる可能性があることから、新たな共同研究へと発展しました。現在、プロジェクト評価が行われています。

数理データ科学研究ユニットでは、数値データだけでなく、自然言語、画像、時系列データ、さらには工場設備の運転データなど、多様なデータを研究対象としています。

また、機械学習理論、幾何学的データ解析、確率過程論といった基礎研究から、医療、金融、製造業、エネルギー分野における応用研究まで幅広く取り組んでいます。

本セミナーでは、最先端の理論研究と産業界との共同研究の双方が紹介され、数理データ科学研究ユニットが目指す「理論と実社会をつなぐ研究」の姿が示されました。今後も産学連携を通じて、データサイエンスの基盤技術の発展と社会課題の解決に貢献していくことが期待されます。